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2012年9月24日月曜日

講孟箚記-尽心上篇-第十五章 〜 王陽明の悟り

講孟箚記-尽心上篇-第十五章■

 本章は、その内容切実、文章簡易、まことに素晴らしい。
幼児が親を愛する心は、心の本質がそのまま現れたもの、すなわち仁であって、上に在るものが、この心で天下の親を見るならば、天下の人々もそれぞれ自分の親を見ること、童子がその親を愛するがごとくであり、同時に天下の親も、それぞれ自分の子を見ること、幼児を見るごとくにするであろう。
ここにおいて世の中に不孝の子も、不慈の親もなくなるのである。
そしてこの問題は、兄弟間においても同じ道理である。

古今、この章を読んだものの数は限りないのであるが、ただ※王陽明だけが、本章によって大いに悟り、ついに独自の学問を樹立し、後世全ての人々が彼に及ばぬのである。

以上の事実によって、書物は精思熟考するのでなければ、決してその源に逢いその流れを達する、道の根源を会得し、それを天下後世にゆきわたらせることはできぬのである。

また考えるに、「他なし、これを天下に達するなり」、重要なることは、親を愛し兄を敬う心を天下に推し及ぼすという一事である、という結論こそ、運用と工夫に関する沢山の内容を包含しているのである。これは離婁上篇第十一章の「人々、その親を親とし、その長を長として、天下平かなり」と同種のことばである。■

〔講談社学術文庫『講孟箚記』近藤啓吾氏著より〕

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※注釈より
王陽明是に因りて・・・『王文成公年譜』(文成は陽明の諡)に、正徳十六年、五十歳、正月、南晶に居る、この歳、始めて到良知(良知を致す)の教えを掲げ、「我、この良知の二字、実に千古聖々相伝の一点一滴の骨血なり」といったと見える。
すなわち陽明は、道徳的判断力を以て人の先天固有のものとし、孟子の良知語(本章に
「人の学ばずして能くするものは、其の良能なり、慮らずして知るものは、其の良知なり」
とある)を、その依拠としたのである。



2012年9月10日月曜日

講孟箚記-尽心上篇-第三十五章 〜 孝行とは

講孟箚記-尽心上篇-第三十五章


 前章に已に、斉ほどの大国でも、人倫に比べるならば極めて価値は軽く、わずかの食物と違うところがない、といっており、本章には、ただに斉国のみでなく、天下といえども、父子の道の重いことに比較すれば、やぶれ草履に等しいことを述べている。

本章の主意と、万章上篇首章の記述とを合わせて考えて、それによって大舜の心事を考察し、孝行の道を把握するがよい。

だいたい、孝道というものは、眼中、ただ父母を思う一念のみがあるのみである。
父母がなかったならば、一日も我が身は存在しないのであるから、それを思えば、父母のためにはわが生命も問題にならぬ。
まして天子の地位いかに貴くとも、天下の富いかに多くとも、父母に比較すればやぶれ草履に等しいもので、何で問題にするに足りようか。
以上の主意については、朱子の註に、説くこと至れり尽くせりである。

 新井白石の『読史餘論』に本章が次のように引用されている。

「『保元物語』を見ると、源義朝に父の爲義を切らさせられたことは、過去に未だに聞いたことのない不祥事であり、これは、それを命ぜられた朝廷のお誤りであるとともに、子たる義朝自身の誤りである。『孟子』に、舜が天子の地位にあり、皐陶が裁判官の地位にあるとき、父の瞽目-叟(コソウ)が殺人を犯し、皐陶がこれを、執えたとすれば、舜はどうしたでありましょうかという桃應の問いに対し、孟子が、舜はその地位を棄て、父を背負って辺土に去るであろうと答えたことを載せているが、義朝においても、父を助けようと思ったならは、その方法はあったはずである。自分に賜る恩賞に代えたとしても、よしわが身を投げ出したとしても、父を救おうと思うならば、救われたのである」

とある。
この意見に、わたくしはまず同感する。
このように心を使って、なお救うことができなかったならば、父とともに生命を失ったとしても、少しも心残りはないのである。
舜の心も同様であった。殺人罪をおかしたものを、人に知られぬように背負って逃げたとしても、天下の威勢をもってこれを捜索したならば、やがて露顕してしまったかも知れず、一生涯、父とともに欣然として居るということは、困難であったろう。

しかしながら、捕らえられて直ちに父子もろとも殺されたとしても、一生欣然としていたという事実を、少しも傷つけぬのである。楚の令尹であった子南の子の棄疾や、唐の李懐光の子の李摧の行為は、以上の道において全く欠点がないものである。

これについては、縢文公上篇末章の「一本」、本を一にするの説、及び本篇第二十六章の「権」の説にどと合わせて研究するとよい。
なお本章においてはもっぱら父子の間の道について説いているが、この舜の子としての心を推しつめてゆくならば、君臣間の道においても同じことなのである。『孝経』に、「孝の心を以て君に仕えるならばそれが忠である」とあるのは、このことをいったものである。

(講談社学術文庫『講孟箚記』近藤啓吾著より)

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この章で説かれている「孝」については、他の章でも度々出てくるので合わせて熟考したい。
儒家思想の「孝」は現代の親孝行の本の考え方だと思うが、ニュアンスは少し違う気がします。この章はそれを考えるのに良い例だと思う。

私の地元米沢の上杉鷹山公は大倹約令を発しながら、養父の重定には甘く、藩が窮乏しているにも関わらず贅沢な生活を許した。
この点について疑問視したり、甘やかすべきではなかった、と述べている著書があるが、それらの意見に関して言えば、私はこの章でも書かれている儒家思想の「孝」についての考えが不足しているように思う。
もともと徳の厚い上杉鷹山公であったのだから、当時一番の貧乏藩とはいえ、養父に藩主として迎えられたことに対する恩は計り知れないものがあるだろう。
その心中はこの箚記を読んで「孝」について考えれば、想像できるように思う。