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2012年10月5日金曜日

講孟箚記-公孫丑上篇-第四章 〜幸も不幸も自分次第

講孟箚記-公孫丑上篇-第四章■

「禍福は己より之を求めざる者なし」

 この章は、二つの「是の時に及んで」という語が使われている。朱子の註は、このどちらに対しても「ただ日も足らず」、いくら努力しても、なお時間が足りないの意味であるといっている。この註は最も道理が深く味わうべきである。

 今や、東よりアメリカ、西よりヨーロッパの諸国が、わが国にせまって来ているが、当局は、本意を枉(マ)げて彼の意に従うのみである。地図を開いてこの情勢を検討してみると、蝦夷のクシュンコタンは既にロシア人が城塁を築いており、松前の箱館と伊豆の下田は、すでにアメリカ人の貿易場となり、肥前の長崎には、イギリスやフランスの来航が頻繁である。
その外、武蔵の神奈川、志摩の鳥羽、摂津の難波などは、外国人がすでに去ったものの、彼らの臭気、まだ消えていない。
以上から見て、わが国のうち、彼らの汚れを受けていない土地は、どれ程であるか。上に在るものは政治教育を修め、士太夫たるものはその学問武芸を練り、農・工・商の人々はそれぞれ自分の仕事に勤め、かくして上下力を合せて、災事を未然に防ぐべく努力し、当局者たるもの、民衆の侮りを受けぬようにするべきである。
しかるに現在の国情はこれに反し、この機に乗じて、ただ日も足らぬというありさまで、日夜遊びほうけているのは、何事であるか。古今を通じ、慨嘆を同じゅうするものである。

 「禍福は己より之を求めざる者なし」、禍も福も、いずれも自分の心掛けが招くのである、というこのことばは、甚だ道理が深い。禍の字も福の字も、いずれも示編(しめすへん)に基づく文字である。およそ示編の字は、神・祇・祥・禎の類でわかるように、みな神に関係がある文字である。
それ故に、禍福というのは、世間でいう、天罰があたるとか、神罰を蒙る、または神の恵みを受ける、天の福を承ける、という類いのことである。古今ともに、道理にくらい人間の人情は同じことで、とかく天や神が人間に禍や福を降すように思っているので、孟子は特に、「禍福は天から降るのではない、神より出るのではない、全て自分の方から求めるのである」といったのである。この道理が理解できて、初めて共に道の世界に入ることができるのである。
この道理を理解していない人間は、天や神にばかり諛(ヘツラ)って、自分の行動は修めようとしないのである。この態度を、「福を辞して禍を求める」、自分から幸福と離別して禍いを求めるというのである。
つまらぬ人間の行為は、全てこのようである。気の毒なことだ。

〔講談社学術文庫『講孟箚記』近藤啓吾氏著より〕

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皇国の皇国たる所以を説く松陰先生は、日本における本来の神の道についても至る所で言及しており(妹宛の手紙などにも書かれている)はっとさせられるものがある。

神と向き合うということは自分と向き合うということ。 神様は何かをお願いする対象になってしまっているが、古来より身の回りに神々を見いだし生活してきた日本人としては、本来の神の道についても改めて考えたい。

この章については『家之本在身』も是非併せてお読み下さい。


2012年9月5日水曜日

講孟箚記-告子上篇-第四章 〜 仁と義について

講孟箚記-告子上篇-第四章
 
 告子のいう「義は外である」という説の誤りであることは、孟子が明確に批判しており、それ以上の説明を必要としない。しかしながら、シナ人は、義は外であるということの誤りを本当には理解していないので、君臣の義についての本当の理解がない。
わたくしが考えるのに、仁と義とは同じ根から生じたもので、その対象が何であるかによって、仁とか義とか、名称が違ってくるだけである。
されば、父子の間には仁といい〔親しみというのも慈孝というのも、みな仁のことである〕、君臣の間には義というが、その実際は、一つの心から出るものである。

 およそ臣下たる者は、自分がこの世に生まれるよりも前から君恩に俗して生長したのであり、衣食も田畑家屋も、すべて君恩によるものである。まして重禄・高位を世々継承する身分の者に至っては、君恩に俗すること、更に深い。
『孝経』には「身体髪膚、これを父母に受く」とあるが、父母や祖父母もみな君恩に俗して生長したのであるから、この身の頭の先から、足の先に至るまで、みな君のものにほかならない。目をつぶり、静かにこの身の根本がどこからきたものであるかを考えると、感激の心が悠然としておこり、報恩の心が勃乎として生まれてきて、君の御為には一身を水火に投ずべく、敵の刃のもとに斃(タオ)れたならば、わが責務を全うすることができるであろうか、直諫極論・面折廷争したならば、わが罪を免れることができるであろうかと、誠心の発動、おのずからやみがたいものがある。これがすなわち、義であり、仁であるが、しかも君臣の間においては、これを特に義と呼んでいる理由は、両者の身分が遙かに隔たっているため、親愛の情が父子の間のようにはゆかないからであり、これを義と呼んで、その宜しきを得ようとするために外ならない。

 わたくしの友人に、某という胆が太く勇気があって、よく酒を飲む人物があるが、かつて江戸にいた時、ある料亭の会合の席で痛飲し、世を歎くあまり、大いに酔いしれてしまった。するとその下僕、それは七十あまりの老人で、某がまだ生まれぬ前からその家に仕えていたものであったが、大声をあげて泣きながら「御主人は、日頃はあのように狂暴の方ではありませんのに、ただ酒が人柄を狂わせてしまいます」といったので、その切々たる至誠が、一座の人々を感動させたことがあった。わたくしは、今に至るまで、このことを忘れることができない。この至誠こそ、わが日本人の固有の忠義であって、昔から、忠臣義士の心も、この老僕の心と同じものなのである。
そしてこの老僕が主人を心配する心は、わが子を親愛する心に外ならぬので、これは仁であるが、ただ、対象が主人であるから、大声で泣くだけであって、わが子を叱りつけるようにすることができないのである。これが、仁と同根でありながら、君臣の間では義と呼ぶ理由なのである。

しかし、この問題は、シナ人においては事情を異にしており、彼にては、「君臣は義をもって合うものである」といって、両者の道が一致した時は服従し、一致できぬ時には辞任する。
「三諫して主人に聴かれぬ場合には、その国を去る」というのが、これである。
すなわち魯の人でありながら楚の国に仕えてもよく、鄒の人でありながら斉の国に仕えてもよい。
されば、彼らは、義は内であるというものの、仁と義とは同根であるということの真義を理解していないといわねばならない。■

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松陰先生は箚記を通して「皇国の皇国たる所以」、わが国の国体がどういったものであるかを説いているが、それを理解するのに一番大切なものが『孟子』本文のテーマでもある「仁」である。
「仁」は人としてなくてはならないものだが、我が国の仁は中国のそれとは違うと松陰先生はいう。
随所に「仁」について説かれる章が出てくるので、他も併せ読んで熟考したい。