講孟箚記-告子上篇-第四章
告子のいう「義は外である」という説の誤りであることは、孟子が明確に批判しており、それ以上の説明を必要としない。しかしながら、シナ人は、義は外であるということの誤りを本当には理解していないので、君臣の義についての本当の理解がない。
わたくしが考えるのに、仁と義とは同じ根から生じたもので、その対象が何であるかによって、仁とか義とか、名称が違ってくるだけである。
されば、父子の間には仁といい〔親しみというのも慈孝というのも、みな仁のことである〕、君臣の間には義というが、その実際は、一つの心から出るものである。
およそ臣下たる者は、自分がこの世に生まれるよりも前から君恩に俗して生長したのであり、衣食も田畑家屋も、すべて君恩によるものである。まして重禄・高位を世々継承する身分の者に至っては、君恩に俗すること、更に深い。
『孝経』には「身体髪膚、これを父母に受く」とあるが、父母や祖父母もみな君恩に俗して生長したのであるから、この身の頭の先から、足の先に至るまで、みな君のものにほかならない。目をつぶり、静かにこの身の根本がどこからきたものであるかを考えると、感激の心が悠然としておこり、報恩の心が勃乎として生まれてきて、君の御為には一身を水火に投ずべく、敵の刃のもとに斃(タオ)れたならば、わが責務を全うすることができるであろうか、直諫極論・面折廷争したならば、わが罪を免れることができるであろうかと、誠心の発動、おのずからやみがたいものがある。これがすなわち、義であり、仁であるが、しかも君臣の間においては、これを特に義と呼んでいる理由は、両者の身分が遙かに隔たっているため、親愛の情が父子の間のようにはゆかないからであり、これを義と呼んで、その宜しきを得ようとするために外ならない。
わたくしの友人に、某という胆が太く勇気があって、よく酒を飲む人物があるが、かつて江戸にいた時、ある料亭の会合の席で痛飲し、世を歎くあまり、大いに酔いしれてしまった。するとその下僕、それは七十あまりの老人で、某がまだ生まれぬ前からその家に仕えていたものであったが、大声をあげて泣きながら「御主人は、日頃はあのように狂暴の方ではありませんのに、ただ酒が人柄を狂わせてしまいます」といったので、その切々たる至誠が、一座の人々を感動させたことがあった。わたくしは、今に至るまで、このことを忘れることができない。この至誠こそ、わが日本人の固有の忠義であって、昔から、忠臣義士の心も、この老僕の心と同じものなのである。
そしてこの老僕が主人を心配する心は、わが子を親愛する心に外ならぬので、これは仁であるが、ただ、対象が主人であるから、大声で泣くだけであって、わが子を叱りつけるようにすることができないのである。これが、仁と同根でありながら、君臣の間では義と呼ぶ理由なのである。
しかし、この問題は、シナ人においては事情を異にしており、彼にては、「君臣は義をもって合うものである」といって、両者の道が一致した時は服従し、一致できぬ時には辞任する。
「三諫して主人に聴かれぬ場合には、その国を去る」というのが、これである。
すなわち魯の人でありながら楚の国に仕えてもよく、鄒の人でありながら斉の国に仕えてもよい。
されば、彼らは、義は内であるというものの、仁と義とは同根であるということの真義を理解していないといわねばならない。■
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松陰先生は箚記を通して「皇国の皇国たる所以」、わが国の国体がどういったものであるかを説いているが、それを理解するのに一番大切なものが『孟子』本文のテーマでもある「仁」である。
「仁」は人としてなくてはならないものだが、我が国の仁は中国のそれとは違うと松陰先生はいう。
随所に「仁」について説かれる章が出てくるので、他も併せ読んで熟考したい。
告子のいう「義は外である」という説の誤りであることは、孟子が明確に批判しており、それ以上の説明を必要としない。しかしながら、シナ人は、義は外であるということの誤りを本当には理解していないので、君臣の義についての本当の理解がない。
わたくしが考えるのに、仁と義とは同じ根から生じたもので、その対象が何であるかによって、仁とか義とか、名称が違ってくるだけである。
されば、父子の間には仁といい〔親しみというのも慈孝というのも、みな仁のことである〕、君臣の間には義というが、その実際は、一つの心から出るものである。
およそ臣下たる者は、自分がこの世に生まれるよりも前から君恩に俗して生長したのであり、衣食も田畑家屋も、すべて君恩によるものである。まして重禄・高位を世々継承する身分の者に至っては、君恩に俗すること、更に深い。
『孝経』には「身体髪膚、これを父母に受く」とあるが、父母や祖父母もみな君恩に俗して生長したのであるから、この身の頭の先から、足の先に至るまで、みな君のものにほかならない。目をつぶり、静かにこの身の根本がどこからきたものであるかを考えると、感激の心が悠然としておこり、報恩の心が勃乎として生まれてきて、君の御為には一身を水火に投ずべく、敵の刃のもとに斃(タオ)れたならば、わが責務を全うすることができるであろうか、直諫極論・面折廷争したならば、わが罪を免れることができるであろうかと、誠心の発動、おのずからやみがたいものがある。これがすなわち、義であり、仁であるが、しかも君臣の間においては、これを特に義と呼んでいる理由は、両者の身分が遙かに隔たっているため、親愛の情が父子の間のようにはゆかないからであり、これを義と呼んで、その宜しきを得ようとするために外ならない。
わたくしの友人に、某という胆が太く勇気があって、よく酒を飲む人物があるが、かつて江戸にいた時、ある料亭の会合の席で痛飲し、世を歎くあまり、大いに酔いしれてしまった。するとその下僕、それは七十あまりの老人で、某がまだ生まれぬ前からその家に仕えていたものであったが、大声をあげて泣きながら「御主人は、日頃はあのように狂暴の方ではありませんのに、ただ酒が人柄を狂わせてしまいます」といったので、その切々たる至誠が、一座の人々を感動させたことがあった。わたくしは、今に至るまで、このことを忘れることができない。この至誠こそ、わが日本人の固有の忠義であって、昔から、忠臣義士の心も、この老僕の心と同じものなのである。
そしてこの老僕が主人を心配する心は、わが子を親愛する心に外ならぬので、これは仁であるが、ただ、対象が主人であるから、大声で泣くだけであって、わが子を叱りつけるようにすることができないのである。これが、仁と同根でありながら、君臣の間では義と呼ぶ理由なのである。
しかし、この問題は、シナ人においては事情を異にしており、彼にては、「君臣は義をもって合うものである」といって、両者の道が一致した時は服従し、一致できぬ時には辞任する。
「三諫して主人に聴かれぬ場合には、その国を去る」というのが、これである。
すなわち魯の人でありながら楚の国に仕えてもよく、鄒の人でありながら斉の国に仕えてもよい。
されば、彼らは、義は内であるというものの、仁と義とは同根であるということの真義を理解していないといわねばならない。■
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松陰先生は箚記を通して「皇国の皇国たる所以」、わが国の国体がどういったものであるかを説いているが、それを理解するのに一番大切なものが『孟子』本文のテーマでもある「仁」である。
「仁」は人としてなくてはならないものだが、我が国の仁は中国のそれとは違うと松陰先生はいう。
随所に「仁」について説かれる章が出てくるので、他も併せ読んで熟考したい。
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