2013年6月30日日曜日

聖賢の貴ぶ所は

聖賢の貴ぶ所は、議論に在らずして、事業に在り。
多言を費やすことなく、積誠之を蓄へよ。
「久坂生の文を評す」

【訳】
立派な人が大事にするのは、議論ではなく、行動である。ぺらぺら喋っていてはいけない。人としての誠をしっかり蓄えなさい。

〔致知出版社「吉田松陰一日一言」川口雅昭=編 より〕


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大きな志や大きな問題ほどとかく議論しがちになりますが、実行あるのみです。
常々肝に銘じておきたい言葉です。


2013年3月17日日曜日

第二回 講孟劄記輪読会

2月23日、第二回目の輪読会が行われました。
前回とはまた違う方も参加され徐々に人数も増えてきそうです。
松陰先生に学びたい方はふるってご参加下さい。

次回は4月6日、御茶ノ水の再生日本21事務所にて。

講孟劄記輪読会記帳
koumou.blogspot.com/

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2013年1月20日日曜日

講孟劄記の輪読会を開始

昨日、初の講孟劄記輪読会を志塾関係のメンバーで行いました。

和気あいあいと、ですが松陰先生の厳しい言葉を噛み締めながらの非常に有意義な時間でした。
輪読会から終了後の飲み会まで、松陰先生のこと、日本の政治経済のこと、その根本である自分自身について等、様々なことを話し合いました。

巻末読破までの継続が目標です。

こちら輪読会記帳ブログを立ち上げました↓
http://koumou.blogspot.jp

2013年1月1日火曜日

千代宛、新年の祝儀〜新年御目出度うの意味

明けまして御目出度う御座います。
新年ということで、松陰先生の妹千代宛の手紙に書かれた新年の教えを以下ご紹介させて頂きます。


妹千代宛-安政二年正月元旦(吉田松陰全集、大和書房より)


弟妹の為に新年の祝儀申し候。善く聞き候べし。

先づ新年御目出度う御座ります。宜い御年を召しましたろう。扠(さ)て新年とは、にひなとしと云ふ事ぞ。にひなとは新(にい)な着物、新たな道具等にて考へて見よ、垢も付かず、傷もない立派なものを云ふぞ。

着物や道具の新なは分かりたが、年がにひなと云ふでは、ちつと不分かりではないか。そして又其のにひなが目出度いとは、尚更不分かりではないか。

分からずば申さう。年も古びると垢も付くてや、傷も付くてや、夫れでにひなとしが御目出度いてや。凡そ人といふものは気持ちが難しいもので、節季師走になると成ると、えい今年は今わづかぢや、破れこぶれぢや、来年からこそおのれといふではないか。
夫れが年のあかつき、傷付いた所ぢや。

扠て一夜明けると気がしゃんとして、心からにひなになるものぢや。そこで新年御目出度いではないか。
しかし右の講釈で新年の譯(やく)は分かつたが、まだ御目出度いのが分かるまい。目出度いといふがいったい難しい事ぢやてや。目と云ふは目玉の事ではない、目玉共が元日から出たら、ろくな事ではあるまい。目と云ふは木の芽、草の芽の事ぢやわい。木草の芽は冬至からして、一日一日の陽気(はるのき)が生ずるにしたがうて、草も木も萌え出づるなり。この陽気と云ふものは物をそだつる気にて、人の仁愛慈悲の心と同様にて、天地にとりても人間にとりてもこのましき気なり。
故に陽気が生じて、草も木もめでたいと思ふが御目出度いなり。夫れで新年の御目出度いも分かるではないか。前にも申す通り、一夜明けると人の気がしやんとして、破れ気もきたな心ま皆洗ひ揚げて、人の本心なる仁氣慈悲の心も出てくる事、てうど草木の芽の出ると同じことではなきか。夫れ故新年御目出度うござります。

宜しい御年を召しましたらうと云ふも、この心で考へて見れば分かる。
子供の時分には人が年をとるとる云ふから、なんでもいつの間に取るやら合点が行かざつた。寝た間に取るに違ひはないが、どう云ふものやらとばかりに不審に思うて居たが、今で考へて見れば夫れは真の小ども心であつた。よいとしと云ふは外な事ではない、やはり右の気がしやんとするのがよいとしを取つたと云ふものぢや。
此の考がないと、百になりても二百になりても、一もほんとの歳はとりはよせん。夫れぢやから小供のをり、こんな子は歳をどこへ取るかよと云ふて叱られた時、とんと言譯(いいわけ)は出来はせん。言譯が出来ん筈ぢやわ、取る時からほんとに取らんものを。夫れ故歳を取る事も序手(ついで)に講釈せう。

歳と云ふものは、柄(から)だ一杯へ取るから、先づ心へ歳を取れば是非善悪の区別もつかねばならず、耳へ歳を取れば是非善悪の聞分もせんねばならず、目へ歳を取れば是非善悪の見分けもせんねばならず、口へ歳を取れば是非善悪の申し訳もせんねばならず、頭へも足へも、どこへもかしこへも、取らねばならぬこそ年なり。是れが先づ新年の御祝儀申し初めなり。尚ほ書初めいたし候。此の譯大兄様に能々御聞き候べくなり。

◯孟子は平旦の氣さへ賞玩す、況や新年の氣をや。賀せずして巳むべけんや。

◯阿久•阿安、手習は出精するか。書初ども見せ見せ。歳徳さまへ上げたか上げたか。

2012年10月5日金曜日

講孟箚記-公孫丑上篇-第四章 〜幸も不幸も自分次第

講孟箚記-公孫丑上篇-第四章■

「禍福は己より之を求めざる者なし」

 この章は、二つの「是の時に及んで」という語が使われている。朱子の註は、このどちらに対しても「ただ日も足らず」、いくら努力しても、なお時間が足りないの意味であるといっている。この註は最も道理が深く味わうべきである。

 今や、東よりアメリカ、西よりヨーロッパの諸国が、わが国にせまって来ているが、当局は、本意を枉(マ)げて彼の意に従うのみである。地図を開いてこの情勢を検討してみると、蝦夷のクシュンコタンは既にロシア人が城塁を築いており、松前の箱館と伊豆の下田は、すでにアメリカ人の貿易場となり、肥前の長崎には、イギリスやフランスの来航が頻繁である。
その外、武蔵の神奈川、志摩の鳥羽、摂津の難波などは、外国人がすでに去ったものの、彼らの臭気、まだ消えていない。
以上から見て、わが国のうち、彼らの汚れを受けていない土地は、どれ程であるか。上に在るものは政治教育を修め、士太夫たるものはその学問武芸を練り、農・工・商の人々はそれぞれ自分の仕事に勤め、かくして上下力を合せて、災事を未然に防ぐべく努力し、当局者たるもの、民衆の侮りを受けぬようにするべきである。
しかるに現在の国情はこれに反し、この機に乗じて、ただ日も足らぬというありさまで、日夜遊びほうけているのは、何事であるか。古今を通じ、慨嘆を同じゅうするものである。

 「禍福は己より之を求めざる者なし」、禍も福も、いずれも自分の心掛けが招くのである、というこのことばは、甚だ道理が深い。禍の字も福の字も、いずれも示編(しめすへん)に基づく文字である。およそ示編の字は、神・祇・祥・禎の類でわかるように、みな神に関係がある文字である。
それ故に、禍福というのは、世間でいう、天罰があたるとか、神罰を蒙る、または神の恵みを受ける、天の福を承ける、という類いのことである。古今ともに、道理にくらい人間の人情は同じことで、とかく天や神が人間に禍や福を降すように思っているので、孟子は特に、「禍福は天から降るのではない、神より出るのではない、全て自分の方から求めるのである」といったのである。この道理が理解できて、初めて共に道の世界に入ることができるのである。
この道理を理解していない人間は、天や神にばかり諛(ヘツラ)って、自分の行動は修めようとしないのである。この態度を、「福を辞して禍を求める」、自分から幸福と離別して禍いを求めるというのである。
つまらぬ人間の行為は、全てこのようである。気の毒なことだ。

〔講談社学術文庫『講孟箚記』近藤啓吾氏著より〕

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皇国の皇国たる所以を説く松陰先生は、日本における本来の神の道についても至る所で言及しており(妹宛の手紙などにも書かれている)はっとさせられるものがある。

神と向き合うということは自分と向き合うということ。 神様は何かをお願いする対象になってしまっているが、古来より身の回りに神々を見いだし生活してきた日本人としては、本来の神の道についても改めて考えたい。

この章については『家之本在身』も是非併せてお読み下さい。


2012年9月29日土曜日

講孟箚記-尽心下篇-第九章 〜徳とは

講孟箚記-尽心下篇-第九章■

「徳を尊び義を楽しめば、自然に無欲になり平然としておることができる。それ故に士たるものは、どんなに困窮しても義を失うことがなく、どんなに栄達しても道を離れることができない。困窮しても義を失わず、栄達しても道を離れないから、民衆の期待に負くことがない。昔の賢人は、志を得て要路に就いたならば、民衆に広く恩沢を施し、志を得ることができずに民間にあったならば、修養して有徳の人としての名声が世に現れたものである。されば、困窮の身であったならばひとり我が身を修め、栄達したならば、天下の人々を等しく善に導かねばならないのである」
本章は、大いに同感であるので、繁を厭わず、その全文を挙げておいた。いくたびも読み返して欲しいと思う。

さて、「囂々(ゴウゴウ)」、無欲で心が平らか、という二字が、全体の主意であり、「尊徳楽義」、徳を尊び義を楽しむ、という四字が、そうなるための工夫を述べたのものである。

「尊徳」という語には二つの意味があり、その一は公孫丑下篇第二章に「その徳を尊び」云々、このように徳を尊び道を楽しむのでなければ、いっしょに仕事をすることはできません、という尊徳で、これは徳のある人を尊崇するという意味であり、本章もその意味で通るのである。
今一つは『中庸』に「徳性を学ぶ」と見えるもので、これは自分のうちにある徳性、すなわち人格を大切にし失わぬようにするという意味である。しかし、徳といえば、自分のものでも人のものでも結局は同じであって、自分にあるものを大切にするから人にあるものを大切にするのであり、本来、自他一貫の問題である。つまりは、本章の徳という文字は、自分の徳とも人の徳ともいっておらず、ただ徳とのみあるのであり、「楽義」、義を楽しむの義についても同じことである。
このようにして天下の人々の徳義を大切にして、自他の区別をしないからこそ、囂々然として、平然として無欲になることができるのである。およそ士たる者は、どんなに困窮しても、どこまでも士たるの覚悟を失うことなく、また、立身出世したとしても、富貴に溺れて平生の志を亡くしてしまうこともなく、よい政治を行い、民衆に恩沢を施して、彼らの期待にそうべきものである。

 しかるにわたくしが、今の世の中を見通すのに、栄達しても道から離れぬものは少なく、貧賤であった時や、少壮であった日に、書物を放さず経書を研究していた時の議論と、要路に登って政治を執るようになってからの実際行動との間に、多くは違いがあるものである。
しかしこれには、やむを得ぬ事情もあることであろうから、これについては、わたくしは議論しようと思わない。
ただし、どんなに困窮しても義を失わぬということになると、これはわが身の上に切実の問題であるから、努力しなければならない。
わたくしは、甲寅(安政元年)渡海に敗れて獄に入ってからこのかた、身の自由は奪われ、三百里の遠路を檻輿で走り、六百日を牢に暮した。今日は、その禁錮はやや緩くなったとはいえ、足は門より出ることなく、近親以外の人とは、会うことを遠慮している。されば、これは困窮の身といってよいであろう。
しかしながら、わが志に至っては、この松本村はよし小さくとも、ここより一二の俊傑を生み出し、その人によって忠孝を首唱して、天下の先駆となりたいと願っている。
しかしながらわたくしが、義を失わないか、それとも義を失うことが多いかについては自信を持つことができないので、『孟子』をとって研究し、わが行動の道義に適っているか否かを尋ねようと思っている。

なお「独善」、独り善くす、ということの意味については、滕文公下篇第四章に「入りては則ち」云々、家にあっては親に孝、外にあっては長上によく仕え、古聖王の樹てた道を守ってその実現を後の学徒に期待する、といっており、本篇の第三十二章に「其の子弟これに従へば」云々、その国の若者が、この人物について学べば、孝悌忠信の人物になることができる、といっているのを、合わせ考えるとよい。
思うに「独善」というものは、頑固にひとり交際せずに暮していることをいうのではない。
「兼ねて天下を善くす」という語に対して、特にその人の恩沢の及ぶ範囲が小さいということを述べたものに外ならぬのでる。もしそうでなければ、「若者がこの人物について学ぶ」とか「後の学徒に期待する」とかいうことは、「独善」ではなくなってしまうのである。

 わたくしが野山の獄にあった時、同囚の富永有隣のために、その名字の説を作った。その文のうちに、「独善の志があって始めて兼善、全ての人々を善くする、という仕事が生まれる」とか、「偉大なる舜帝は、みずから耕作したり陶器を作ったり、魚釣をしたりしたが、それに関わらずその徳、人々に仰がれて都君と呼ばれ、孔子は、魯・衛・陳・蔡の諸国に遊説して苦しんだが、その道を慕う三千人もの門人があった」と記した。有隣は強情の人物で、自説を決して屈しようとしないが、深くこの説を至言とした。思うに、わたくしと彼との平生の志が、ここにあるからであろう。されば今から数年後には、必ず微効があらわれるものと信じている。

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2012年9月24日月曜日

講孟箚記-離婁下篇-第二十六章 〜 学問は実践であれ

講孟箚記-離婁下篇-第二十六章■

「天下の性を言ふや、則ち故(アト)のみ」
 
 人間の本性は、宇宙の理が人間のうちに内在しているものであり、同時に心として人間の主体をなしているものである。しかしながら、性といっても理といっても心といっても、見聞することのできる形色声臭とて無き無形のものであるが、ただそれが過去にどうであったかという跡をたどって見るならば自然にこれを明白にすることができる。この過去にどうであったかという跡を「故」というのである。

 凡そ空理空論ばかりをもてあそんで、実際の問題についての究明実践をゆるがせにするのは、学者共通の欠陥である。しかしこれは、観念論者が口にするところであって、篤学実行の人物にとっては、聞くことを欲せぬことである。
それ故に孟子は、人の本性の善なることを説く時には、観念に流れぬように、堯・舜を例として、具体的にこれを語っているのである。
また孟子のことばのうちにある「牽牛」の譬、すなわち斉の宣王は、殺してその血を鐘に塗らるべく彼の前を牽かれてゆく牛の哀れな姿を見て、同情にたえなかったという話や、「赤子入井(セキシニュウセイ)」、幼児が誤って井戸に落ちようとしているのを見れば、誰でもみなハッと驚くという話など、みな、行為の跡が明らかに見られるものを挙げて人に示したものであり、決して空理空論は説いていないのである。ここが、学者の最も考えるべきところである。

しかるに実際はこれと反対に本性・理・心を分析してこれを詳細に論じていながら、忠孝節義、すなわち我々の道義実践の上において、全く関係のない議論が、しばしばあるのである。

例えば読書の方法についてこれを見よう。
世の中には、経書を読むことを好んで史書を読まぬものがあるが、これは大いに誤っている。
わたくしは常に史書を読んで、古人の実践の跡を見て、わが志を励ますことを好んでいる。これもまた「故のみ」、過去の足跡に外ならぬ、というものである。

孔子のおことばに、「われこれを空言に載せんと欲するは、これを行事に載するの親切著明なるに如かず」、抽象論として説明するよりも、具体的事実の上で説明する方が、遥かに親切明白である、とあるのは、思うにこの意味である。


〈参考〉
経史を一体とする松陰の学問の本領が、ここに明瞭に語られている。空理を弄して抽象論・観念論に流れることを排し、あくまで実際に基づいて具体的に究明体察しようとするところに、東洋の学問の特質が存在する。
『箚記』に引かれている孔子の言葉は、これをよく示していて、後世の学者の大きな指針となり指標となっており、例えば浅見絅斎藤が自ら著した『靖献遺言』を講義して、

蓋し空言を以て義理を説くは、実に其の事歴を挙げて閲(ケミ)するの、尤も親切にして
感発興起餘りあるにしかず。

といっているのも、これによったものである。
なお絅斎の高弟、若林強斎の『梅津某の問目に答ふ』と題する文のうちには

凡そ学者、空理を汎論することを好みて、而して聖賢の書に就いてこれを講究することを要めず、これ、通病(ツウヘイ)なり。

とあり、学者の抽象論・観念論が、古来の通弊であることを語っている。
松陰が人倫を説き、遺俗・流風を説き、そして急激なる改革を悦ばず、理念の産物というべき革命を拒否したのも、先人の努力の足跡を凝視するが故である。


〔講談社学術文庫『講孟箚記』近藤啓吾氏著より〕


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実学を重んじる松陰先生らしい言葉。
参考の末文にあるように、松陰先生は先人から受け継いできたものを大切にするように説いている。幕末の革命の先駆者と称されるが、松陰先生の真髄はそれまで築いてきたものを壊せというものではなく、しっかり見つめ直して本来のあるべき日本を、大和魂を取り戻そうというもの。
ここを間違えてはいけません。

先祖代々より受けた恩を子々孫々まで継承する。
今の私達はご先祖さまあってのもの。
そしてそれを将来へ受け継いでいかなければいけない。
これはわが米沢の名君、上杉鷹山公も伝国の辞にて述べていることです。
現在の日本において、目先のことしか考えずに発言・行動している私達が真剣に考えなければいけない根本的な問題です。