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2012年9月29日土曜日

講孟箚記-尽心下篇-第九章 〜徳とは

講孟箚記-尽心下篇-第九章■

「徳を尊び義を楽しめば、自然に無欲になり平然としておることができる。それ故に士たるものは、どんなに困窮しても義を失うことがなく、どんなに栄達しても道を離れることができない。困窮しても義を失わず、栄達しても道を離れないから、民衆の期待に負くことがない。昔の賢人は、志を得て要路に就いたならば、民衆に広く恩沢を施し、志を得ることができずに民間にあったならば、修養して有徳の人としての名声が世に現れたものである。されば、困窮の身であったならばひとり我が身を修め、栄達したならば、天下の人々を等しく善に導かねばならないのである」
―本章は、大いに同感であるので、繁を厭わず、その全文を挙げておいた。いくたびも読み返して欲しいと思う。

さて、「囂々(ゴウゴウ)」、無欲で心が平らか、という二字が、全体の主意であり、「尊徳楽義」、徳を尊び義を楽しむ、という四字が、そうなるための工夫を述べたのものである。

「尊徳」という語には二つの意味があり、その一は公孫丑下篇第二章に「その徳を尊び」云々、このように徳を尊び道を楽しむのでなければ、いっしょに仕事をすることはできません、という尊徳で、これは徳のある人を尊崇するという意味であり、本章もその意味で通るのである。
今一つは『中庸』に「徳性を学ぶ」と見えるもので、これは自分のうちにある徳性、すなわち人格を大切にし失わぬようにするという意味である。しかし、徳といえば、自分のものでも人のものでも結局は同じであって、自分にあるものを大切にするから人にあるものを大切にするのであり、本来、自他一貫の問題である。つまりは、本章の徳という文字は、自分の徳とも人の徳ともいっておらず、ただ徳とのみあるのであり、「楽義」、義を楽しむの義についても同じことである。
このようにして天下の人々の徳義を大切にして、自他の区別をしないからこそ、囂々然として、平然として無欲になることができるのである。およそ士たる者は、どんなに困窮しても、どこまでも士たるの覚悟を失うことなく、また、立身出世したとしても、富貴に溺れて平生の志を亡くしてしまうこともなく、よい政治を行い、民衆に恩沢を施して、彼らの期待にそうべきものである。

 しかるにわたくしが、今の世の中を見通すのに、栄達しても道から離れぬものは少なく、貧賤であった時や、少壮であった日に、書物を放さず経書を研究していた時の議論と、要路に登って政治を執るようになってからの実際行動との間に、多くは違いがあるものである。
しかしこれには、やむを得ぬ事情もあることであろうから、これについては、わたくしは議論しようと思わない。
ただし、どんなに困窮しても義を失わぬということになると、これはわが身の上に切実の問題であるから、努力しなければならない。
わたくしは、甲寅(安政元年)渡海に敗れて獄に入ってからこのかた、身の自由は奪われ、三百里の遠路を檻輿で走り、六百日を牢に暮した。今日は、その禁錮はやや緩くなったとはいえ、足は門より出ることなく、近親以外の人とは、会うことを遠慮している。されば、これは困窮の身といってよいであろう。
しかしながら、わが志に至っては、この松本村はよし小さくとも、ここより一二の俊傑を生み出し、その人によって忠孝を首唱して、天下の先駆となりたいと願っている。
しかしながらわたくしが、義を失わないか、それとも義を失うことが多いかについては自信を持つことができないので、『孟子』をとって研究し、わが行動の道義に適っているか否かを尋ねようと思っている。

なお「独善」、独り善くす、ということの意味については、滕文公下篇第四章に「入りては則ち」云々、家にあっては親に孝、外にあっては長上によく仕え、古聖王の樹てた道を守ってその実現を後の学徒に期待する、といっており、本篇の第三十二章に「其の子弟これに従へば」云々、その国の若者が、この人物について学べば、孝悌忠信の人物になることができる、といっているのを、合わせ考えるとよい。
思うに「独善」というものは、頑固にひとり交際せずに暮していることをいうのではない。
「兼ねて天下を善くす」という語に対して、特にその人の恩沢の及ぶ範囲が小さいということを述べたものに外ならぬのでる。もしそうでなければ、「若者がこの人物について学ぶ」とか「後の学徒に期待する」とかいうことは、「独善」ではなくなってしまうのである。

 わたくしが野山の獄にあった時、同囚の富永有隣のために、その名字の説を作った。その文のうちに、「独善の志があって始めて兼善、全ての人々を善くする、という仕事が生まれる」とか、「偉大なる舜帝は、みずから耕作したり陶器を作ったり、魚釣をしたりしたが、それに関わらずその徳、人々に仰がれて都君と呼ばれ、孔子は、魯・衛・陳・蔡の諸国に遊説して苦しんだが、その道を慕う三千人もの門人があった」と記した。有隣は強情の人物で、自説を決して屈しようとしないが、深くこの説を至言とした。思うに、わたくしと彼との平生の志が、ここにあるからであろう。されば今から数年後には、必ず微効があらわれるものと信じている。

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2012年9月21日金曜日

講孟箚記-尽心下篇-第四章 〜 強恕ー思いやり

講孟箚記-尽心下篇-第四章■

 本章は、前章の「我に在るものを求む」を受けて語ったものである。
「強恕して行ふ」云々、大いに努力して、恕、すなわち思いやりを他人に推し及ぼしてゆくことこそ、仁を求めるにもっとも近い方法である、という言葉は、まことに親切の教えである。
骨の折れることを努力してすることと、人の気持ちを思いやりながら行うことから、学問は始まるものであって、これが孟子のいう「強恕」の道なのである。
これ以下三章は、すべて「これより近きはなし」の意を推し広げて、身近の問題を取り上げ、それによって至上の道理を説いたものである。

〔講談社学術文庫『講孟箚記』近藤啓吾氏著より〕

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「骨の折れることを努力してすることと、人の気持ちを思いやりながら行うことから、学問は始まるものであって」云々、この一節は何かを学ぶ時には肝に銘じておきたい言葉ではないでしょうか。

講孟箚記-尽心下篇-第六章、七章 〜 恥と武士道について

講孟箚記-尽心下篇-第六章、七章■

この二章は、「恥」の問題について論じ尽くしているので、これ以上、何も付け加えるものはない。
ただ、君子の恥じるところと小人の恥じるところとを比較してみると、君子は自分に道義がないことを恥じ、小人は名誉がないことを恥じる。
君子は才能がないことを恥じ、小人は官位・俸禄のないことを恥じる。この類を推し広げて、両者の違いを知るがよい。だいたい、小人が恥ずかしく思うところは外見の問題であり、君子が恥ずかしく思うところは内実の問題である。

それはさて置いて、「恥」という一字は、わが国の武士が常に口にするところであって、恥を知らぬくらい恥ずかしいことはない。しかるに武士が恥を知らぬこと、今日に至って極まったという外ない。
されば武士の道を興そうとするならば、まず恥を知る気風を興すことからすべきである。

今日、何が自分にとって第一の恥であるか、第二の恥であるか、第三、第四の恥であるかと、順序に条目を立てて努力するならば、真の恥を知る武士になれるであろう。

〔講談社学術文庫『講孟箚記』近藤啓吾氏著より〕
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別章にて恥と罪どちらが重いものかについて言及している。併せて読むことをお薦めいたします。(どの章だったかは、後ほど紹介いたします)

2012年9月20日木曜日

講孟箚記-尽心下篇-第二章 〜 天命とは

講孟箚記-尽心下篇-第二章■

 本章は、前章の「命を立つ」、天から与えられた生命を全うするという意見をうけて、「正命」と「非正命」との別についての意見を述べているもので、「命」について論ずること、極めて詳細であるといってよい。命というのは天命のことである。

世間一般の人々の考えでは、天命というと、天に心があって、人の行いの善いか悪いかによって吉凶禍福をそれぞれに与えることのように思っているが、これは大きな誤りである。
この章で命といっているものは、万章上篇第六章に「これを致すことなくして至るものは命なり」、人の力で招こうとしないでも、向こうからやってくるものが命である、といっている命であって、すべて人の力ではどうすることもできぬことを、命といったのである。吉凶禍福の類は、みな自分の思い通りにならぬことであるから、これを命というのである。
 

 さて「命に非ざることなきなり」、吉凶禍福、全て命であるといううちに、正命と非正命との区別がある。これについては、前章の『箚記』の中で述べておいた「疾病の譬(タトヘ)」を基準とし、その外のことはそれより類推してこれを知ることができる。
すなわち、家族が頑固な父、やかましい母、思い上がった弟や愚かな子であったり、洪水にあったり、飢え苦しんだりすることは、みな命であるが、これを命であるといって何もせずにいることは、非正命―正命ではないのである。
それは、為すべきことを放棄してその道を尽くさずにいるからである。聖人が心力を尽して天下のために勤めたのに関わらず、その子が丹朱や商均のような、いかんともし難い不肖であったことは、正命とも言えるであろう。
しかし、桎梏、すなわち手枷・足枷されて罪人として死ぬのは、自分から招いた禍いであるから、正命ではないのである。
それは、盗みや賭事のような悪事さえしなかったならば、罪人になるはずは全くないからである。

しかしながら、殷の湯王が夏台に囚われ、周の文王がユウ里に囚われたり、龍逢や比干のような忠臣でありながら、死罪になることを免れなかったのは、これが正命であるか非正命であるか、よくよく考えねばならない。
『朱子語類』にこの問題を取り上げて、
「孟子は、桎梏して死んだ者は正命でないと説いているが、これについて、孟子の真意はどうであるのかということを看ることが必要である。
一つ公冶長を例に取り上げてみると、彼は縲紲(ルイセツ)に在る―縄をかけられて獄に入っていたといっても、彼の罪のためではなかったのである。さればもし当時、許されぬまま獄死したとしても、彼の死は正命でないとはいわれないであろう。
罪があるとか罪がないとかは、結局、自身の問題である。
それ故に古人も、身を殺して仁を成す― 一命をすてても仁の徳を成しとげようとしたのである。」と論じている。

この意見によって、わたくしはこの事を次のように考える。
道義を実践してそのために禍罪にかかるということは、為すべき道を尽した極である。およそ人というものは、道義の外に行くべきところがないのであるから、道義を実践して禍罪にかかるのは、自分の意にまかせぬことであって、これを「これを致すことなくして至るもの」、招かぬのに先方からやって来るものといってよろしい。
そしてこの問題について、われわれは詳細に考えねばならない。

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豊かな、時に脅威となる自然と共に生きてきた日本人には、「なるようにしかならない」という気持ちがあるのを時折感じる。
しかし、人智ではどうにもならない天命と対峙したからといって、為すべきことをせずに放棄することは非正命であるとこの章では諌めている。
本篇の首章に「人事を尽くして天命を待つ」について書かれているが、なされるがままではなく与えられた天命に対して自分の道を尽くすことの重要性を説いている。

終盤の「為すべき道を尽くした極である。」とあるが、東北周遊での友に義を尽くすための脱藩、下田での密航計画など、松陰先生は「道を尽くす極」を自ら実践している。