2012年9月24日月曜日

講孟箚記-離婁下篇-第二十七章 〜 礼について

講孟箚記-離婁下篇-第二十七章■

 「礼」というものは、一定の規矩、中正の標準であって、人の行動をこれに照らして過不及なからしめるものである。しかるに世俗の人々の態度を見ると、恭しさの度を過し諂(ヘツラ)いになったものもあれば、傲、人におごるの度を過ぎて慢、人を侮るにまで陥っている者もある。これらはみな礼にはずれている。
もし本当に礼を実行しようと思うならば、孔子・孟子の行為によって知るのがよい。
孔子が主君のお招きを受けた時、堂の下で礼拝したのは、当時一般の堂上で礼拝したという慢に失した風潮を抑えて、礼に復帰しようとしたものである。
孟子が本章に見えるように、弔問に赴いた際、右師王驩と、彼ひとり口を開かなかったのは、人々が争って権力者にとり入ろうとする、諂いの態度を矯め直して礼に復帰させようとしたものである。
されば孔子も孟子も、その精神は等しいものであった。
現今、礼も習俗も、いずれも孔子・孟子の時代とは異なっているが、細かく考察すると、諂ったり慢(アナド)ったりして、礼を失っている人間は、無しとしないのである。
さればこの問題を深く考えてみることが大切である。
さらにまた、第十章「仲尼は巳甚だしきことを為さざる者」の意と互いに照らし合わせて、本旨を明白にすべきである。■


〔講談社学術文庫『講孟箚記』近藤啓吾氏著より〕


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講孟箚記-尽心上篇-第十五章 〜 王陽明の悟り

講孟箚記-尽心上篇-第十五章■

 本章は、その内容切実、文章簡易、まことに素晴らしい。
幼児が親を愛する心は、心の本質がそのまま現れたもの、すなわち仁であって、上に在るものが、この心で天下の親を見るならば、天下の人々もそれぞれ自分の親を見ること、童子がその親を愛するがごとくであり、同時に天下の親も、それぞれ自分の子を見ること、幼児を見るごとくにするであろう。
ここにおいて世の中に不孝の子も、不慈の親もなくなるのである。
そしてこの問題は、兄弟間においても同じ道理である。

古今、この章を読んだものの数は限りないのであるが、ただ※王陽明だけが、本章によって大いに悟り、ついに独自の学問を樹立し、後世全ての人々が彼に及ばぬのである。

以上の事実によって、書物は精思熟考するのでなければ、決してその源に逢いその流れを達する、道の根源を会得し、それを天下後世にゆきわたらせることはできぬのである。

また考えるに、「他なし、これを天下に達するなり」、重要なることは、親を愛し兄を敬う心を天下に推し及ぼすという一事である、という結論こそ、運用と工夫に関する沢山の内容を包含しているのである。これは離婁上篇第十一章の「人々、その親を親とし、その長を長として、天下平かなり」と同種のことばである。■

〔講談社学術文庫『講孟箚記』近藤啓吾氏著より〕

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※注釈より
王陽明是に因りて・・・『王文成公年譜』(文成は陽明の諡)に、正徳十六年、五十歳、正月、南晶に居る、この歳、始めて到良知(良知を致す)の教えを掲げ、「我、この良知の二字、実に千古聖々相伝の一点一滴の骨血なり」といったと見える。
すなわち陽明は、道徳的判断力を以て人の先天固有のものとし、孟子の良知語(本章に
「人の学ばずして能くするものは、其の良能なり、慮らずして知るものは、其の良知なり」
とある)を、その依拠としたのである。



2012年9月22日土曜日

講孟箚記-告子下篇-第四章 〜 利と仁義について

講孟箚記-告子下篇-第四章■

 本章は、利と仁義との区別を論じていること、梁恵王上篇首章と同じであって、これこそ孟子が生涯変わることなかった意見であった。
さて宋コウは秦・楚二国の王に、戦争は国家にとって不利のものだといってこれを止めさせるといっているが、それは、戦いに勝っても、その結果、兵気はにぶり、財力は無くなってしまい、〔『孫子』作戦篇等にいっているとおりである〕まして、戦争は勝つものとは決まっていないし、その上、秦・楚の両国が戦うのは、二匹の虎が打ち合うようなもので、戦いが長引くために兵禍は増大し、韓・魏・斉・趙の諸国がそれにつけこんで攻めて来るであろうし、そうなれば一大事であると説くのに過ぎないであろう。

 それに反し、仁義を本にして両国の王に説くならば、まず初めに、戦を起し、士臣の生命を危険に陥れ、諸侯から怨まれる原因を作り、更に領土を拡張したいという理由から国民を苦しめるという行為は不仁であることを述べそれによって王の仁心をふるい起たせ、更にどのようにわずかの土地であっても、不義の手段で奪ってはならぬことを説いて、王の義心をふるい起たせるであろう。

 昔から、戦争について論ずる人物は、すべて利を得るということを主眼とし、仁義にかなっているかどうかということは、問題としない。そしてその弊害は、今日に至って極点に達したといってよい。
だが、事実は、仁義によって行うことほど利であるものはなく、また利によって行うことほど不利なものはないのである。このことは、近頃のロシアおよびアメリカの行動によって知ることができよう。■

〔講談社学術文庫『講孟箚記』近藤啓吾氏著より〕

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利益、効率性、アウトソーシング、資本主義的な思考になりがちな現代の私達こそ、この章について深く考えるべきかもしれない。

2012年9月21日金曜日

講孟箚記-尽心下篇-第四章 〜 強恕ー思いやり

講孟箚記-尽心下篇-第四章■

 本章は、前章の「我に在るものを求む」を受けて語ったものである。
「強恕して行ふ」云々、大いに努力して、恕、すなわち思いやりを他人に推し及ぼしてゆくことこそ、仁を求めるにもっとも近い方法である、という言葉は、まことに親切の教えである。
骨の折れることを努力してすることと、人の気持ちを思いやりながら行うことから、学問は始まるものであって、これが孟子のいう「強恕」の道なのである。
これ以下三章は、すべて「これより近きはなし」の意を推し広げて、身近の問題を取り上げ、それによって至上の道理を説いたものである。

〔講談社学術文庫『講孟箚記』近藤啓吾氏著より〕

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「骨の折れることを努力してすることと、人の気持ちを思いやりながら行うことから、学問は始まるものであって」云々、この一節は何かを学ぶ時には肝に銘じておきたい言葉ではないでしょうか。

講孟箚記-尽心下篇-第六章、七章 〜 恥と武士道について

講孟箚記-尽心下篇-第六章、七章■

この二章は、「恥」の問題について論じ尽くしているので、これ以上、何も付け加えるものはない。
ただ、君子の恥じるところと小人の恥じるところとを比較してみると、君子は自分に道義がないことを恥じ、小人は名誉がないことを恥じる。
君子は才能がないことを恥じ、小人は官位・俸禄のないことを恥じる。この類を推し広げて、両者の違いを知るがよい。だいたい、小人が恥ずかしく思うところは外見の問題であり、君子が恥ずかしく思うところは内実の問題である。

それはさて置いて、「恥」という一字は、わが国の武士が常に口にするところであって、恥を知らぬくらい恥ずかしいことはない。しかるに武士が恥を知らぬこと、今日に至って極まったという外ない。
されば武士の道を興そうとするならば、まず恥を知る気風を興すことからすべきである。

今日、何が自分にとって第一の恥であるか、第二の恥であるか、第三、第四の恥であるかと、順序に条目を立てて努力するならば、真の恥を知る武士になれるであろう。

〔講談社学術文庫『講孟箚記』近藤啓吾氏著より〕
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別章にて恥と罪どちらが重いものかについて言及している。併せて読むことをお薦めいたします。(どの章だったかは、後ほど紹介いたします)

2012年9月20日木曜日

講孟箚記-尽心下篇-第二章 〜 天命とは

講孟箚記-尽心下篇-第二章■

 本章は、前章の「命を立つ」、天から与えられた生命を全うするという意見をうけて、「正命」と「非正命」との別についての意見を述べているもので、「命」について論ずること、極めて詳細であるといってよい。命というのは天命のことである。

世間一般の人々の考えでは、天命というと、天に心があって、人の行いの善いか悪いかによって吉凶禍福をそれぞれに与えることのように思っているが、これは大きな誤りである。
この章で命といっているものは、万章上篇第六章に「これを致すことなくして至るものは命なり」、人の力で招こうとしないでも、向こうからやってくるものが命である、といっている命であって、すべて人の力ではどうすることもできぬことを、命といったのである。吉凶禍福の類は、みな自分の思い通りにならぬことであるから、これを命というのである。
 

 さて「命に非ざることなきなり」、吉凶禍福、全て命であるといううちに、正命と非正命との区別がある。これについては、前章の『箚記』の中で述べておいた「疾病の譬(タトヘ)」を基準とし、その外のことはそれより類推してこれを知ることができる。
すなわち、家族が頑固な父、やかましい母、思い上がった弟や愚かな子であったり、洪水にあったり、飢え苦しんだりすることは、みな命であるが、これを命であるといって何もせずにいることは、非正命―正命ではないのである。
それは、為すべきことを放棄してその道を尽くさずにいるからである。聖人が心力を尽して天下のために勤めたのに関わらず、その子が丹朱や商均のような、いかんともし難い不肖であったことは、正命とも言えるであろう。
しかし、桎梏、すなわち手枷・足枷されて罪人として死ぬのは、自分から招いた禍いであるから、正命ではないのである。
それは、盗みや賭事のような悪事さえしなかったならば、罪人になるはずは全くないからである。

しかしながら、殷の湯王が夏台に囚われ、周の文王がユウ里に囚われたり、龍逢や比干のような忠臣でありながら、死罪になることを免れなかったのは、これが正命であるか非正命であるか、よくよく考えねばならない。
『朱子語類』にこの問題を取り上げて、
「孟子は、桎梏して死んだ者は正命でないと説いているが、これについて、孟子の真意はどうであるのかということを看ることが必要である。
一つ公冶長を例に取り上げてみると、彼は縲紲(ルイセツ)に在る―縄をかけられて獄に入っていたといっても、彼の罪のためではなかったのである。さればもし当時、許されぬまま獄死したとしても、彼の死は正命でないとはいわれないであろう。
罪があるとか罪がないとかは、結局、自身の問題である。
それ故に古人も、身を殺して仁を成す― 一命をすてても仁の徳を成しとげようとしたのである。」と論じている。

この意見によって、わたくしはこの事を次のように考える。
道義を実践してそのために禍罪にかかるということは、為すべき道を尽した極である。およそ人というものは、道義の外に行くべきところがないのであるから、道義を実践して禍罪にかかるのは、自分の意にまかせぬことであって、これを「これを致すことなくして至るもの」、招かぬのに先方からやって来るものといってよろしい。
そしてこの問題について、われわれは詳細に考えねばならない。

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豊かな、時に脅威となる自然と共に生きてきた日本人には、「なるようにしかならない」という気持ちがあるのを時折感じる。
しかし、人智ではどうにもならない天命と対峙したからといって、為すべきことをせずに放棄することは非正命であるとこの章では諌めている。
本篇の首章に「人事を尽くして天命を待つ」について書かれているが、なされるがままではなく与えられた天命に対して自分の道を尽くすことの重要性を説いている。

終盤の「為すべき道を尽くした極である。」とあるが、東北周遊での友に義を尽くすための脱藩、下田での密航計画など、松陰先生は「道を尽くす極」を自ら実践している。


2012年9月12日水曜日

講孟箚記-離婁下篇-第十三章 〜 本当の孝と忠について

講孟箚記-離婁下篇-第十三章


 この章の意味は、朱子の註によって已に明らかになっている。しかしわたくしは、今別の一説を提起して参考にしたいと思う。

 「生を養ふ」、親の生存中に孝養を尽くすということは、父母の目の前における行為であるから、非常な狂妄人でない以上は、ある程度までは親に恭しい態度をするものであるから、この態度を見て簡単にその人を信じて孝子と思い、親に孝だから兄に悌の念もあるであろう、君に忠の心もあるであろうなどと思って、大事の際にこの人を用いようとすると、これは大きな誤りであろう。
「死を送る」、親の葬儀を行う際に及んでも、なお親の生存中同様、必ず誠に必ず信、誠実を尽くすことができる人物こそ本当の孝子であって、このような人こそ、大事に当てるに足るものであり。
大事に当てるとは、重大な事が生じた際、それを担当するに堪える人物であるということである。すなわち『論語』にいう「大節に臨みて奪ふべからず」のごとき精神力があることをいうのである。〔当つという字の意味は、朱子の註と少しことなっている。〕

 以上の道理は、父母の生死の際のことだけのことでなく、あらゆる問題の上で同一である。
国が強く勢いが盛んである時には、誰も忠勤を励むものであるが、国が衰え勢いが去ってしまうと志を変えて敵に降参し、主君を売る類の人間が少なくない。
それ故に人は、晩節を全うするのでなければ、どれほど才智学藝があっても、尊ぶ価値がないのである。

英明な君主のもとで忠義を尽くす家臣は珍しくない。
暗愚な君主に仕えて忠義を尽くす人物こそ、真の忠臣である。

慈愛深い父のもとで孝行をする子供は珍しくない。
頑迷な父に仕えて孝行を尽くす人物こそ、真の孝子である。

賞誉されて忠孝に励む人は珍しくない。
責罰されてもなお忠孝を尽くす人物こそ、真の忠臣孝子である。
武士たる者が覚悟すべきこと、実にこの一点にある。


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「仁」の親に対するものが「孝」、君に対するものが「忠」であり、両者あわせて挙げて本当の忠孝とは、ということを説いている。

その人の真の「忠孝」を見極めなければ、大事に際して、任せるべきではなかった、、、という結果になることを忠告しているともとれる。

話しは少しずれますが、体調不良で過去に辞任してしまった元首相の再出馬は、誰もが「大事は任せられない、」という気持ちだと思うのだが、どうだろうか。