講孟箚記-告子下篇-第四章■
本章は、利と仁義との区別を論じていること、梁恵王上篇首章と同じであって、これこそ孟子が生涯変わることなかった意見であった。
さて宋コウは秦・楚二国の王に、戦争は国家にとって不利のものだといってこれを止めさせるといっているが、それは、戦いに勝っても、その結果、兵気はにぶり、財力は無くなってしまい、〔『孫子』作戦篇等にいっているとおりである〕まして、戦争は勝つものとは決まっていないし、その上、秦・楚の両国が戦うのは、二匹の虎が打ち合うようなもので、戦いが長引くために兵禍は増大し、韓・魏・斉・趙の諸国がそれにつけこんで攻めて来るであろうし、そうなれば一大事であると説くのに過ぎないであろう。
それに反し、仁義を本にして両国の王に説くならば、まず初めに、戦を起し、士臣の生命を危険に陥れ、諸侯から怨まれる原因を作り、更に領土を拡張したいという理由から国民を苦しめるという行為は不仁であることを述べそれによって王の仁心をふるい起たせ、更にどのようにわずかの土地であっても、不義の手段で奪ってはならぬことを説いて、王の義心をふるい起たせるであろう。
昔から、戦争について論ずる人物は、すべて利を得るということを主眼とし、仁義にかなっているかどうかということは、問題としない。そしてその弊害は、今日に至って極点に達したといってよい。
だが、事実は、仁義によって行うことほど利であるものはなく、また利によって行うことほど不利なものはないのである。このことは、近頃のロシアおよびアメリカの行動によって知ることができよう。■
〔講談社学術文庫『講孟箚記』近藤啓吾氏著より〕
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利益、効率性、アウトソーシング、資本主義的な思考になりがちな現代の私達こそ、この章について深く考えるべきかもしれない。
本章は、利と仁義との区別を論じていること、梁恵王上篇首章と同じであって、これこそ孟子が生涯変わることなかった意見であった。
さて宋コウは秦・楚二国の王に、戦争は国家にとって不利のものだといってこれを止めさせるといっているが、それは、戦いに勝っても、その結果、兵気はにぶり、財力は無くなってしまい、〔『孫子』作戦篇等にいっているとおりである〕まして、戦争は勝つものとは決まっていないし、その上、秦・楚の両国が戦うのは、二匹の虎が打ち合うようなもので、戦いが長引くために兵禍は増大し、韓・魏・斉・趙の諸国がそれにつけこんで攻めて来るであろうし、そうなれば一大事であると説くのに過ぎないであろう。
それに反し、仁義を本にして両国の王に説くならば、まず初めに、戦を起し、士臣の生命を危険に陥れ、諸侯から怨まれる原因を作り、更に領土を拡張したいという理由から国民を苦しめるという行為は不仁であることを述べそれによって王の仁心をふるい起たせ、更にどのようにわずかの土地であっても、不義の手段で奪ってはならぬことを説いて、王の義心をふるい起たせるであろう。
昔から、戦争について論ずる人物は、すべて利を得るということを主眼とし、仁義にかなっているかどうかということは、問題としない。そしてその弊害は、今日に至って極点に達したといってよい。
だが、事実は、仁義によって行うことほど利であるものはなく、また利によって行うことほど不利なものはないのである。このことは、近頃のロシアおよびアメリカの行動によって知ることができよう。■
〔講談社学術文庫『講孟箚記』近藤啓吾氏著より〕
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利益、効率性、アウトソーシング、資本主義的な思考になりがちな現代の私達こそ、この章について深く考えるべきかもしれない。
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