2012年9月10日月曜日

講孟箚記-公孫丑上編-第八章 〜他の力を借りる

講孟箚記-公孫丑上編-第八章


舜は大聖人である。
彼がまだ身分が低くて、農夫・陶工・漁夫と一緒に生活している時、必ず「人に取りて以て善を為す」、他人に善いところがあれば、それを取り入れてすぐ実行したわけは、天下というものが至って大きく至って奥深いものであって、まことに一人の知恵や能力ではこれを窮めることができぬことを知っていたからである。

更に舜が「人と善を為す」、人々と一緒に善を行ったということになると、これは、仁の至上なるものであって、我ら至らぬものどもは、とうてい、聖人の大徳に及ぶべきものではないが、既に志を立てて聖人を学ばんと決心した以上、大舜であるからといって、その大徳に畏れることはないのである。

それ故に、自己の小さな知恵や能力を挟まず、広い心を持って他人の知恵や能力を採用し、その上に人の善心を勧め助けて、いっしょに道に向かって進むべきである。
更に言えば、世の中には、人を誘って道に進もうとする人物は極めて少なく、ひどい人間になると、互いの知恵と知恵、能力と能力とをぶつけて抗争しあうまでになる。
この上なく哀しい話である。

われわれは、深くこの点に留意しなければならない。


(講談社学術文庫『講孟箚記』近藤啓吾著より)

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一人の能力は限られている。
全て自分でやろうとするのには限界があり、他人の能力を認めて助けてもらわなければ大道はなし得ない。
塾生ひとりひとりの特徴を見抜いていたといわれる松陰先生らしい言葉。

この講孟箚記を説かれた野山の獄では、松陰先生が孟子の講義をするだけでなく、松陰先生の提案により他の囚人にそれぞれの得意分野の先生となってもらい(歌や詩など)、互いに学問を磨いたといわれる。
誰に対しても分け隔てなく教え、誰に対しても教わる姿勢を持つ松陰先生だからこその重みがあるように思う。

大きな事態に直面すると、前しか見えなくなりがちだが、自分のすぐ近くにも今その時を乗り切るのにふさわしい能力を持った人がいるかもしれない。
心に留めておきたい一節です。



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