2012年9月4日火曜日

講孟箚記-万章下篇-第二章〜祖法、天皇

講孟箚記-万章下篇-第二章

 古代のよい制度やよい意思が後世に伝わらないのは、常に暴と慢という二つの力によって阻害されるからである。「諸侯、その己を害するを悪みて、皆その籍を去る」、諸侯は、おのれの勢力を拡張するために、周の定めた序列が自分らを束縛するものであるとして悪み、各国ともそれを記載した文章を破棄してしまった、というのは、それは暴のことをいったものである。
後世、秦の利斯が、書籍を焼き捨て学者を坑うめにしたのは、暴の甚だしいものであるが、その淵源は久しいといわねばならず、それは、本章に、すでに「籍を去る」、文書を破棄したという記事があることによって知ることができる。
慢というのは、記録することを怠り、記録してもそれを修補することを怠り、年がたつにつれて消え滅んでしまうことをいうのである。『孟子』に専ら暴のことばかりが記してあり、慢に及んでいないのは、記録のなくなった理由のうちの重大なものを特に挙げたからである。

 いったい、国家の政治上の第一の眼目は、祖法を守ることであり、祖法は文書に記録されている。『中庸』に「文王・武王の政治については、文書に記録されている」とあり、告子下篇第八章に「祖先より伝来の文書を守る」とあるのも、みなこの祖法のことをいったのである。
今日は、名君賢相相遇のよい時代なので、突然、暴によって文書を破棄するには至らぬであろう〔ある人が、それも覚束ないといっている〕が、慢によって文書がいつしか消えてゆくことに気づかぬということは、ないと保証しがたい。君主・宰相が負わねばならぬ問題は、文書保存の責務である。

さて、周室の制度はその詳細を知りがたいが、わたくしは常にそれについて深く感ずるところがある。周制においては、天子・公・侯・伯・子男を五等の段階とし、さらに諸国においては、君・卿・大夫・上士・中士・下士と六等の段階にしている。周制は事ごとにこの精神で貫かれており、籍田の礼、葬月の数の類も、すべて同じである。
思うにそれは、「天子という地位は公・侯より一階級尊いだけであり、君という地位は卿・大夫より一階級高いだけである」と考えたものであって、それ故に夏・殷・周の三代においては、君主たるもの、地位が高いからといって人に誇ることなく、謙虚な態度で下位の者に対する礼があり、それ故に国家のうちは、和らぎ睦まじかったのである。
ところが、春秋・戦国の時代になると、君主の威厳・恩徳ともに薄くなり、臣下は日々に驕慢となって、その結果として、田氏は主人を倒して斉を奪い、韓・魏・趙の三氏は協力して主人を廃し、晋を奪って分配するまでになったのであり、最後には、君臣間の礼は全く破棄されてしまった。それ故に、秦が天下を統一して天子となると、君臣の分度を定め、多年積もった弊風を直ちに改めて、眼前、大いに快哉を誇ったものであるが、それ以来、三代の時代の美しい精神は全く滅びてしまい、そのまま今日に至っている。まことに惜しむべきことである。

 わが国は、君臣の義において、外国とは全く別であるとはいえ、天子は雲の上のお方で人間とは違った存在であるというように思うことは、古の道ではない。
王朝が衰えた結果としてこう考えるようになり、こう考えるようになった結果として王朝はますます衰えるのである。
さればこの道を天子の御前に申し上げる人物がいたならば、必ず時代を超えて古道に進む人物も現れてくることであろう。
しかしながら、このことは、不用意に説くべき問題ではない。不用意に説き不用意に聞いた時には、かえって権奸のよい口実となって、自ら天子たらんとする乱臣賊子が、わが国にも相次いで出るようになることであろう。これはまことに恐るべきことである。

 また按ずるに、周制によれば、庶人であっても、五人から九人の家族を養うことができた。これはまことに恩徳の厚いことであったといわねばならない。
しかし古代のシナにおいては、土地広く畑多く、しかも人口が少なかったからこそ、これを行うことができたものと考えられ、わが国の今日では、それをそのまま手本とはし難いことである。

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この章では終盤の手前で天子について述べている。
「天子を人間とは違った存在とみることは古の道ではない」という。
ここに松陰先生の国体観が垣間みれる。
天皇が尊い存在であるが、それは特別神聖視するものではない。

明治維新後の帝国主義はここが根本的に失敗だったと感じる。
日本は皇国、ではあるが西洋の皇帝、王とはその在り方が異なる。
天皇を近代化にあわせて神聖な皇帝として無理矢理仕立て上げる必要はなかったのではないかと思う。



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